世界から高く評価される北海道スキー。君臨するニセコ
スキーを楽しむ男性

北海道スキーの頂点に君臨するスキーリゾートは、11月下旬から5月初旬のゴールデンウイークまで約半年間にわたって極上のパウダースノーを楽しめるニセコです。2013年に始まり欧米などのスキーリゾートを対象に、世界のスキーヤーが投票して決めているワールド・スキー・アワードでは2016年まで4年連続で、日本のスキーリゾート地域の1位にニセコ・ユナイテッドが輝きました。2017年以降は、方式が「分野別世界一」の授賞だけに変わったものの、以前と変わらない人気です。

「外国人ばかりで日本らしくない」と外国人が嘆くほどの国際的人気

スキーを満喫
このニセコこそが2000年ごろに、オーストラリアのスキーヤーから世界的人気の火がついたスキー場でした。その後、ヨーロッパ各国からも訪れるようになり、さらに近年は、東南アジアの雪の降らない国や中国、台湾などからの来訪者が増えています。ますます国際化する様相に、以前から訪れていたオーストラリア人など一部の人は「ニセコは外国人ばかりで日本らしくない」と北海道の他地域のスキー場に移ったり、道外の白馬(長野県)などに拠点を移したりしている位です。

遠く蝦夷富士を望む斜面に5つのスキー場が

新千歳空港から車で2時間の距離にあるニセコは、アイヌ語の「切り立った崖(とその下の川)」の意味です。地元「ニセコ町のうた」のでだしは「仰ぐはニセコアンヌプリ」とあり、そのニセコアンヌプリ(標高1308メートル)の斜面に、ニセコモイワ、ニセコアンヌプリ国際、ニセコビレッジ、ニセコグラン・ヒラフ、ニセコHANAZONOリゾートの5つのスキーリゾートが反時計回りに並んでいます。遠く蝦夷富士(えぞふじ)とも称される羊蹄山(標高1898メートル)を望めます。ニセコモイワ以外の4つのスキー場は「ニセコ・ユナイテッド」を形成しています。

最も早く開発されたのがニセコモイワ

ニセコのうち、最も早く開発されたニセコモイワスキー場は1919年、大正年間、リフトもない時代にスキーヤーたちが数時間かけて山に登って滑るスキーから始まりました。町がロープトゥをつけ、1966年にスキー場になり、現在のニセコモイワスキーリゾートになりました。積雪4メートルを超え、パウダースノーは世界的にも有名です。3つのリフトで上級から初級まであり、プライベートな雰囲気を味わえるスキー場としてニセコ・ユナイテッドと一線を画しています。

ニセコ・ユナイテッドは広大なエリアにある4スキー場の連合体

ニセコのスキー場は、モイワの後1970年代から80年代にかけてアンヌプリ国際(今のニセコアンヌプリ国際)、ニセコ東山(今のニセコビレッジ)ができました。その2つと、のちにできたニセコグラン・ヒラフ、ニセコHANAZONOリゾートと合わせてニセコ・ユナイテッドを作ったのです。4つのエリアはシャトルバスで互いに結ばれ、倶知安町ともつながっています。4つのスキー場の全山共通リフト券もあります。

極上のパウダースノー、広大なエリアにバラエティ豊かなコースが待ち構えていて「コース外に出るにはゲートから」など事故を防ぐための「ニセコルール」を2001年から運用しており、これは全国のスキー場の模範になっています。ゲレンデも、ゲレンデ外のバックカントリースキーも楽しめるようになっています。

特色あるホテルやカフェなども備わり

カムイニセコ、Valeニセコ、木ニセコ、ヒルトンニセコビレッジなど特色あるホテルが各スキー場にあり、2020年1月にはHANAZONOエリアに、パークハイアットニセコHANAZONOがオープンします。ますまず国際的なスキー場として発展することでしょう。

実は日本人向けに裏メニューもあります

ニセコを中心にした地域は、日本人にとっては裏メニューが既にできています。オーストラリアの人たちが買ったマンションは「日本の冬」に使うもので、夏は「空き」のまま。そこを日本人が長期間借りて避暑生活を楽しむ…そんな世界的共存共栄の関係も生まれています。